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一定期間更新がないため広告を表示しています 2019.01.05 Saturday
- - 嬉しいできごと
嬉しくてびっくりする事がありました。 未定の部分が多くて内容は書きませんが、しばらくびっくりして、心がふわふわ浮足立ってたのを、「落ち着いて落ち着いて」と、自分で言い聞かせている感じ。 先日、たまたまTVで見た映画で心に残った言葉がありました。 前にも見た事があるのにやはり感じ方は違うもの。 「差別のない世界を探すんじゃない。どこに行っても差別はある。君はそれと共にここで生きて行くんだ。」 みたいな事。 差別だけにかかわらず、偏見や誤解等いろいろな事があるけど、それがない所を探すんじゃなくて、受入れた上でどう生きるか、と言うことなのかなと思います。 自分自身が差別を受けたと言う認識はあまりないし受けたとしてもすぐに忘れてしまうので思い浮かびませんが 他人に対してでなく自分自身にも、ハンディキャップがある事で自分で自分に差別していた事?があったのをいろいろと思いだしました。 例えば勉強会や講演会等で質問のある方は?と聞かれた時にほんとは聞きたいことがあったのに聞いたあとの答えが聞こえないから、聞きなおして間があいたり、みんなにえっ?って言う顔で注目されたりするのが、イヤだったから質問する事を諦めていました。 今はもう違いますが手話の講座に通う中でそれを思い出しました。 それからたまに耳にする話。 子どもの耳が聞こえない、聞こえにくいとわかった時の親の感想が何よりもショックが大きいと言う事。 そして絶望するとか。 私もたまに言われます。 「聞こえてるから大丈夫よ。」って。 んん?どういう意味?慰めてるのかな? 聞こえなかったら大丈夫じゃないのかな?? 素朴な疑問は絶えません。 聞こえて当たり前かもしれないけど私は聞こえにくくて当たり前、それについて絶望することはありません。 この先どんどん聴力が落ちて全く聞こえなくなる事に不安がないわけではないけど ほんとに死ぬこと以外はかすり傷です。 生きていれば何とかなります。 私が耳が聞こえにくいんです!と自己主張するのはその人の個性で表現方法だと、同居人は言いました。 歌が好きでうまい人が歌を歌って聞いてもらいたいのと一緒のようにできたらいいじゃないかと思う、と。 一般的に障害者が何かを訴えかける時(発信する、主張するような時)には、ネガティブなイメージから入りがちだと言う事。 それには私も物凄く同意見で、それをする事によって、見ている他者にはやっぱりネガティブなエネルギーが伝わってしまうと思うのです。 そこから生まれる感情は、かわいそうとかそういう同情です。 同情が欲しくて訴えかけているわけではなく、違いを受入れ、可能な範囲で合理的配慮を求めている。 その行動で同じ様な立場の人や、悩み困っている人の何かポジティブなきっかけになれる事が私の望みなんだと思います。 そして、他者から見ればなんともない事でも、当事者にとっては物凄くネックになっている様な事があります。 例えば、最近知り合った難聴の友達は手話を習いだして10年経ってやっと使えるようになったと言う事。 それは覚えられなかったわけじゃなくて自分で聴こえないと認めたくなかったからだということ。 「自分は聴こえているから大丈夫。健聴者と同じ様に話せるし。手話を使いたくない。」と思っていたそうです。 それを私づてに聞いた同居人が一言。 「あぁ、しんどいな。しんどかったやろうな。」 なんだかその言葉に、ぐっときてしまいました。 そういう事か。 私達の心の奥に少しずつ積もり重なっていったモノの正体が、他者との会話で言葉に表す事ができたと思いました。 難聴者、ろう者に限らずまだまだ知らない、いろいろな立場の人がいます。 広い視野と大きな心で勉強したいなと思います。 2回目の
8月15日。 覚えやすい日にしてくれたのは居た時には あまりしなかった姉の自己主張なのかもしれないなと思う今日この頃(^^) その日は甥っ子も実家に来ていて、姉が大好きだったケンタッキーをみんなで食べました。 信仰の自由にはなんの反対も、意見も無い事を前提に記します。 2年前、姉が死去した時、お葬式にはお坊さんを呼ばなかった。 無宗教だし、嫁いだ姉の家族が決めてくれた事なのでそれは何も思わない。 両親は憔悴しきってそんな事は考えられない状態。 それは義兄も同じだと思う。 みんながパニクっている中で、物事を決めて行かなければならないあの、感じ。 どうにかならんかね。得意な人は少ないかと思うけど苦手だ。 そして、初七日。 「これから向かいます。」 と、両親が喪服を着て準備して連絡すると 「昨日、済ませた。」と言われた衝撃…。 「え?なんの冗談?」 四十九日。 モヤモヤしたまま、家族で向う。 姉の義母が唱える御経に、心がサーっと冷めていく感覚…。 (義母は某宗教を熱心に信仰されてるようで、姉からも話には聞いたことがあった。 甥っ子達がまだ話せるか話せないかの年の頃に教えて一緒に御経を唱える事もあったそう。 義父も義母程ではないが一応は信者さんらしい。) この違和感は何なのか、1年経った昨年、やっと判明した次第でありますが。 この違和感の為に、一周忌と納骨を欠席した無礼者は私です(*´∀`*) 当然、今年の三回忌も欠席しました。 日程の都合もあったのですが。 私の感覚や価値観は一般常識とは程遠いものだと自覚した上で、その感覚を無視せず正直に行動に移す事を許してくれた両親には感謝しなければ。最初はだいぶ怒ってたけど、結局は理解してくれたと思う。 亡くなった方の法要は、生きてる者の気持ちの整理や自己満足を満たす為のものだといわれたりいわれなかったり? お墓の問題にせよ、遺産の問題にせよ、 「亡くなった人がどう思うと思う?」なんて、ドラマや法事の場面にはよく出てくるけれど、 どうも思ってないよ〜って思ってしまう自分が居ます。 死人に口なし。 結局は自分の都合の良いように想いたいだけかなと、冷めた見解をします。 何事も経験しないと分からないし、 同じような経験があったとしても 立場、状況、環境等によって千差万別。 部外者がどうこう言うような話でもないですね。 今年も姉のことを思い出してくれてありがとうございます💕 どうか忘れないで下さいね。 あ、なるべくでいいです(^^) なんともかんとも。。。
Aさんはある方のお手伝いをしていた。 ある方は重度の身体障がい者。同居していた方Bさんが突然行方不明になり、大騒ぎ。 車ででかけていて高速道路で事故を起こし車はめちゃくちゃだけど幸いにも大した怪我もなく、無事に帰ってきた。 ただ、精神的にいろいろなダメージがあった様子。 心配なので毎日のように様子を見に訪問していた。 日々の買い物、通院、散髪など、予約をし、車をだし、送迎して、相談にものっていた。 段々と、その生活に慣れ、ある方のいろいろな人に対する暴言が目立ってきた。 Aさんは、そういうのはやめて欲しいと何度か伝えたが、止まらない。 長い付き合いだけれど、限度を超えた暴言、悪態には付き合いきれず、必要最低限の手伝いになり、会話もほぼなくなった。 ある日、突然の電話で、クレジットカードやETCカード、Bさんが不安さゆえにAさんに預けたいた保険証や診察券など、そちらが頼んで預けていたにも関わらず、返して欲しいと言い出した。 もちろんすぐに返しに行ったのだが、聞けば、ある方は周りの人に、とられてたのを、やっと返してくれたとか、言ったらしい。 その上、Aさんのせいでうつ病になったとか。車も、何度も断ったのに預かって欲しいと頼まれ、ガソリンカードを渡され、好きなだけ使ってとか、好きなもの買いとか、すごく大きいことを言ってた。 預けられたAさんは、駐車場を探して契約し、ガソリンも毎回どれだけ使っているか管理し、他人の大事なものを精細に注意を払って管理していたにも関わらず、そんなことを言われたそうだ。 呆れすぎて言葉もでない。 自分の勝手で、他人を振り回す。 障がい者だから、手伝ってもらって当たり前?生まれつき不自由だから、不公平? なんか違う。 私が知ってる中ではAさん以上に、心の広い人は見たことがない。 Aさんが会話をしない程なのは、本当に相当なこと。 「障害って、心の障害が一番問題やで。」 Aさんは、ぽつりと言った。 ある方は、常に自分が中心で、自分が主役で、周りの人が自分の思い通りになると思っているように思える。 Aさんは、90才になるお母さんの介護もしている。 ある方は、お母さんにと、たまにお土産をくれるが、歯の少ないお母さんが到底食べらるはずもない、しかも、賞味期限がすぐなのに量の多いものを渡すそうだ。 日頃から、お母さんの様子を話していたけれど、内容は覚えないようだ。 どんな障害であっても、結局は人間性が一番重要になってくる。 重度のハンディキャップが、相手に同情を与え、多少のことは目をつぶってしまうかもしれないけれど、同情や、良心だけでは良好な人間関係は保てない。 逆の場合もまた然り。 現実はドラマよりなんとやらを、間近で見せてもらった。 それはそれは
不思議な体験だった。 考えるより先に涙がこぼれていた。 あぁ、そうか。それを感じてたのにそれが当たり前で、それをどうこうしようとは思わなかった。 実際、それでよかったのだけど、余りにもストレートに心に届いたから驚きと戸惑いと ほんでからそれが共感して共鳴していたような感じ。 事の始まりは慢性的な運動不足の懸念から。 とにかくお得に(⬅この表現は某市では障害者は使ってはいけませんょ。)お安く運動できるところはないかと、探した結果 市がやっているスポーツセンターを見つける。私は補聴器ユーザーで障害者手帳4級。 手帳をもっていると無料でこの施設を使えるらしいと言うこと。 さらに同伴者も介護者という名目で同じく無料で使える。 素晴らしいシステムに感謝しつつ、トレーニングマシンの説明を予約して受けにいった。 きちんと調べてなかったけどその施設は運動できる他に聴覚、視覚、その他の障害者の様々な相談やサポート等ができる所だったようで、館内を歩いているだけで掲示板やチラシ等から沢山の情報が得られた。 その中に、ワンポイント手話。と言うものがあり、15分間だけだが無料(素晴らしい響き!)で毎週木曜日、手話が習えるとのこと。 私は過去に何度か手話を習得しようと試したことはあったけど、なかなか続かず、「覚えたところで誰と会話すんのよ。」とか思ってた(笑) ところが同行者がこれに一度、参加しようと誘ってくれた。正直、またヤル気が湧きそうにもないなぁとは思ってたけどせっかく誘ってくれたので参加してみたことが、冒頭に繋がることになった。 よく言えばのんびり、悪く言えば(言う必要はないけど😁)時間にルーズな私なんで(沖縄時間と言って😄)少し遅れて到着すると、 同世代くらいの女性が手話を交えて話していた。 「子どもの頃、後ろから呼んだのに無視されたと言われて悲しかった。」 「補聴器の近くで大きな声を出せば分かると思う人は?」 こんな内容で、TVの手話講座とか、本で勉強するのとは、全く違う内容で、その方自身の体験と感じた事を聞きながら手話を覚えていくって、何それめっちゃ分かりやすそう。と思った。 「家族の中で私以外はみんな聞こえます。私だけが聞こえなくてさみしかった。家族の中で居場所がないと感じていた。」 ふいにツボをつかれた。 今まで自分でも、当たり前に思ってた事を改めて聞いて、自分の心の奥深くにあった感情に改めて気付かされ、不思議と嬉しくて満たされた感じがした。 私には私の障害と性格をよく理解してくれる同居人や友人に恵まれているけれど、同じ立場の知り合いがいない。 昔、地域の情報誌やネットで探した事があったけどイマイチ気の合いそうな人には出会えなかった。 そのうちに障害者とか健常者とかこだわりなく人に出会うようになり、同じ立場の人を探すことの方が不自然になってたように思う。 障害者というカテゴリーを越えて性格を理解して受け入れてくれる人が多かった。 自分を健常者に寄せて行く事が、自分にとって自然な事になっていたけれど、 もっとそのままでもっと居心地のよく自然に生きられる場所が、もしかしたらあるのかも知れないな、と、感じた。 違和感
何?この違和感、半端ない(~_~) オーガニック?自然? 地球に優しい?言霊? 昔は好きだった言葉たち。 今はその言葉に違和感しか感じなくなった。 スジが通っていたらいいんやけど、 昔も感じたけど オーガニックドリンクをプラスチックの使い捨てコップで飲んでる感じ。 ベジタリアンもいるけど、そこはかともなく 私は無駄な殺傷しません。的な雰囲気を感じてしまう、私の心。 でも、野菜もれっきとした命。 大地の恵、それも大切な命。 命を頂くのに、動物と植物を分けるのも違う気がする。 実際、家の植物にも猫にも同じように話しかけてる私(^^ゞ 地球とか自然とか、人間がどうこうできるようなチンケなものじゃないだろうし…💦 理屈や世間の流れなんか関係なしに ただ、ただ、自分の感覚に敏感になっておればいいんじゃないかと思うのであります。 自分の感覚って、ほんとにブレやすくて、ちょっとしたことで影響されるから それを如何にブレずにいられるかって所をもっともっと大切に、大事にするべきだと思う。 あの人がこう言ったからとか 科学的に証明されてるからとか そんなことはほぼほぼ関係なくて 自分が気持ちいいか気持ちよくないか、 違和感がないか安心感があるかって所で、 いろいろなことを判断できたらいいだろうなと、思う。 価値観の変化
生涯を通して一つの事をやり続けられる人は、尊敬する。 私は、飽き性なのもあるし、価値観は変わり続けるものだと思っている。 社会に関心を持ち、アクションを起こす。 素晴らしいことだけど、自分では続けられなかった。 自分が心地よく呼吸ができなくなってしまうと、それはもう、価値観に変化があった証拠だと思う。 SNSも、またしかり。 プライベートなことも共有し、それを楽しむ。 楽しめている時はいいけど、それが、時に胸を痛め、知らなくてよい情報がニンゲンカンケイを拗らせややこしくする。 もっとシンプルに、もっと心地よく うまく使いこなせたら便利なものにちがいないはず。 終戦記念日
日本中の人が平和を願う、この日は 姉の命日となり、違う意味をも持つ日になった。 長女ゆえに、頼られることが多く 強そうに見えて、心にくもりがなく純粋で 弱々しい心の持ち主だったのだと思う。 それをもっと早く気づいていればと思う。 例え、身体を救えなくても 心の不安をなんとか取り除いてあげたかった。 生あるものには有無を言わさず 必ず訪れる死 その死を、受け入れ、残る人に声をかけ 安心して旅立つことができたなら、 その死は安らかで幸せな死なんだと思う。 はなちゃんがお味噌汁の作り方を覚えたように 死に向かい合い、現実に受けとめ、 納得のいくその時を迎えられますように。 その覚悟は生あるもの全てに備え持つべきだと、残された者は思わざる得ない。 過去にとらわれず 未来を妄想せず 今、この瞬間に生きる。 「あたらしいことば」を覚えた。
学生の頃は(と言っても、高卒)数学よりも国語は嫌いじゃなかったけど、読書なんて数えるほどだった。 働くようになって、自分の中の疑問に対する しっくりくる答えを言ってくれる人が居なくて、自然と本に手を出したように思う。 あぁ、ここに答えがあったんや。という感じ。 そのうちに、自分とは違う人が見た、感じた、考えた、「価値観」と言うものを知る、 読書とはそういうものなのだと思った。 (私の場合、漫画を含め。) ひとつの本、 ひとりの作家の世界観、価値観を その人に会わず、好きな時間に知ることが出来る。 それってめっちゃええやん。 自分とは違う、物の見方ができる。 そう、新しく覚えた言葉は 「複眼的」
です(笑) 今ごろでスミマセンm(__)m💦 ※mixi連携の外し方が分からなくて、諦めますm(__)m 治療
あの有名人の訃報が。 姉は去年の終戦記念日にこの世を去った。 姉の闘病中、彼女の事を仲間だと思って、心強く思ってたみたい。 姉は抗がん剤を拒みながら、仕方なく受けているようだった。 治療と見せかけて、身体を痛めつけているように、私は見えて、それが辛かった。 有名人は、一般人よりもっと様々な最新と最善と思われる「治療」をしたに違いない。 それを思うとどれだけ痛めつけてたのかなぁと、想像するだけで辛い。 姉も2年と半年ほどだった。 否応なしに身内との別れを思い出してしまう。そんな人が、沢山いるのだろう。 肺に転移し横になると苦しがって、夜中も座っていたようだ。 しばらく眠れなかったと思う。昼間から意識がもうろうとしていた。 なんでもいいから、楽にしてあげて欲しいって思ってた。 息をひきとった姉は、やっと横になることができて、楽になったように見えた。 当たり前が当たり前でない
子どもの頃から当たり前に食欲があり、 当たり前に家に母がいて 当たり前にご飯があった。 そんな当たり前は他の人には 当たり前でなく 食欲がない人、ご飯がおいしくない人もいることを、今更ながら改めて知る。 それが例えば、食に関わる仕事をしてる人だと余計に、衝撃を受け、その疑問にはなかなかイメージができない。 それって、どんな感じ? 普通の風邪ぐらいでも普通に食欲があり、 只一度のインフルエンザの時に食欲が少し落ちたくらい。 それでも、普通に食べれる気がして 食べれそうな量を用意したけど 食べたいのに食べれなかった。 そんな感じ? イヤイヤ、でも、インフルエンザじゃないしな… そんな、妄想が止まらなくなって どこかに文章にしておきたくなった。 |